2023年8月、ハルキウを訪ねて。

2023年8月、ハルキウを訪ねて。

まずはじめに、ロシア侵攻によってハリコフからハルキウに日本語表記が変更されましたのでハルキウと書いていますが、今でもハリコフの方が馴染みが深いです。ここでは日本語表記通りハルキウに統一したいと思います。

 

              ヨーロッパ製の綺麗な列車

スームィから列車に乗って約3時間。

ヨーロッパ製の綺麗な電車でしたが、列車のスムーズさに比べて線路のガタつきが気になったものの、友二人と連れ立っていたので3時間が長いとは思わず、道中の広大な畑が広がる田舎の景色の中に、まだ青々と広がるグリーンとイエローのパッチワークが目に飛び込み、これから危険なエリアに向かっているのだという危機を感じることはありませんでした。ハルキウに近づくにつれて建物の窓にガラスがなく、集成材パネルで覆われた箇所が目立つ建物を目にしましたが、中央駅の周辺も悲壮感はない代わりに、第二の都市とは思えない静かさだけが平時と違うのだなと感じました。

 

中央駅や建物の雰囲気にソ連を感じる

アールがかかったコーナー。カーテンウォールのファサードと古びた感じがとても好みです。

ハルキウはずっと訪れたかった場所。夫が嫌いだという理由でなんとなく来る機会を逃していました。

初めての訪問が戦時下ということで、普段との比較ができなく少し残念ではありますが、中央駅の壁画や造作、やけに広々とした建物内部や各サインの中にソ連が存在し、この1年半に渡りそれがずっとそのまま存在していることに若干の違和感を感じるとともに、この街のスタンスを見たような気がして少し複雑な心境になりました。

 

目的の場所・目的の人

今回の目的は「フミカフェ」へいくこと。

無料で食事を提供している「フミカフェ」運営者のフミさん

彼の名は土子文則さん 御年75歳。東京都からポーランドを経由してやってきた日本人です。今、もっとも有名な日本人の男性であり、ハルキウの正真正銘のヒーローです。

ご存知ない方のために少し説明させていただくと、定年後の移住先をポーランドに定め、2022年に完全移住。ポーランドのゲットー・強制収容所を巡り、そこで亡くなった方々へ想いを寄せることをライフワークにして、暇な時間はのんびりと魚釣りでもしようと考えていたそうです。

その後すぐに起きたウクライナへのロシア侵攻によって、のんびりしてはいられないとウクライナへやってきて防衛隊に参加。戦闘行為は日本人として行えないので、日本で従事していたヘルパー経験が役に立つだろうと衛生兵として志願。その後実地で一つ一つを学んでいったそうです。

の後、人伝に東部のロシア国境に面したハリキウという街の地下鉄内に支援を受けることなく過ごすウクライナの避難民がいるという話を聞きつけ、防衛隊の隊長に許可をもらってハルキウまでやってこられました。戦争が始まってからハルキウの地下鉄は無料で開放。そこへ一つ一つの駅を巡った末に見つけた人々のために奮闘することになるのです。きちんとした支援をされていなかったハルキウの避難民たちは常にお腹をすかせた状況だったそうです。

彼はすぐに行動を起こし、自身の貯蓄を使ってパンと牛乳とヨーグルトを配り始めたのでした。

その後、日本や海外から支援の輪はひろがり、ハコフ市内にて無料の食事提供を行う『フミカフェ』をオープンさせたのでした。

土子文則さん情報
facebook:
https://www.facebook.com/profile.php?id=100076982934539&sk=about

 

マンスリーサポーター募集:

https://fumicaffe.base.shop/?fbclid=IwAR3ZeCqv-IRo8M9eesBl1Q4l0x2ZBACS2YGExBXnxTU1dFR1JxddJ1FCC1g

 

instagram:

https://www.instagram.com/fuminori_tsuchiko?fbclid=IwAR3cD9ULmYJnGCuv7zR1nEK8nLyrHOpLs1NGTFjIorBMzskWESQBgWRxQzk

フミさんとの出会い

3月に出会った日本の法人関係者の方から話を伺いFB上で知り合いになったのですが、どうしてもお会いしたくて友人2人を連れてやっとハルキウに行くことができました。

地下鉄に乗って目的のカフェにつくまで、道中何度か道ゆく人に訊ねながらでしたが、

「無料のカフェを開いている日本人のおじいちゃんね。知っているわよ。あっちへ渡ってもう一度聞いてね!」と。知っている人は皆フミさんへ好印象を持っていることに気づきました。さすがはハルキウの知事から『名誉市民賞』をもらっただけあります。

 

実際にお会いして

お店の前にはすでに列が。

目的のカフェへ到着したのはオープンの少し前で、すでに外には行列ができていました。

店内にいたフミさんと相棒のナターシャ。コンコンとガラスと叩くと快く迎えてくれました。メインとなるカフェには数席の椅子とテーブル。高いカウンターの奥にはその日提供する料理が大鍋に入って用意されていました。

フミさんは細身の体でにこやかな雰囲気がありますが、目の奥に厳しさを持っており、久々に日本人に会った喜びと共にこちらの背筋がしゃんとするような方でした。

元々ポーランドに移住するために日本を旅立ち、ウクライナはポーランドの隣国という認識でしかなかったところへ、この戦争が始まってから心を痛めたという理由で実際にボランティア活動を起こす行動力は並大抵のものではありません。この原動力を私は実際に目にしたかったのですが、実際にお会いすると自分のちっぽけさが分かり、私の悩みなどとても小さいものだと思えたのでした。

 

フミカフェ・店内の様子

 

フミさんの相棒がこれまた素晴らしい方だった

私、ナターシャ、フミさん、私の友人アンナ。

彼女の名前はナターシャ。

レストランでマネージャーをしていた経験を持ち、フミカフェは実質彼女が運営を任されており、フミさんが一番信頼している方です。

SNSを拝見する限りいつもフミさんの隣にいる印象があるウクライナ人女性。彼女との出会いがフミさんにとって大きなものであったことは間違いないと思います。画像や動画で見るよりもずっと懐が大きく、お会いした瞬間にこの女性は正真正銘の強くて豊かな女性だと分かりました。気さくな中に謙虚さと逞しさがあり、もう間違いなくすぐに好きになってしまうタイプです。

ウクライナ人が皆言うこと。

「その人の目をみればわかるよ」「あの人はいい人だ」。

まさしくそんな女性です。彼女とフミさんの出会いは地下鉄でのこと。支援の届かない避難民たちの状況を把握するリーダーだったナターシャは、フミさんと初めて話した時、

「あなたはここへ初めてきた外国人です。私たちは歓迎します」と。

 

人の縁は絶対に存在するのだ。と思えた。

フミさんとナターシャは、きっとこうやって出会う運命だったのだと強く感じました。

フミさんのやり抜こうとする精神力と、強い力で行動するウクライナ人女性の逞しさが同じ目的を持って進んだ時のパワーと求心力は、二人が出会わなければ実現は難しかったのではないかと感じました。また、そうやって出会った二人に次々と協力が集まり、メディアやテレビの力を借りてハルキウで一躍有名人になったのは必然的だったのだと思います。

私と一緒にハルキウへ行ったアンナは、ナターシャからカフェ運営に関してとても長く話を聞いていましたが、彼女曰く、「あなたはフミさんとずっと何を話していたの?3時間以上ずっと話しっぱなしだったのよ!」と言われた通り、フミさんとの出会いの場ではあっという間に時間が過ぎ去り、とても貴重で刺激的で、時間がまるで吹き飛ぶようでした。

   350gあるこの日提供されたワンプレート。ここにナチュラルなコンポートも付きました。

*このプレートはご馳走してもらったのですが、食後募金箱に任意の料金を納めました。困窮していない方の利用も可能ですが、自分が思う任意の金額を納めるシステムになっているようです。基本は無料提供の困窮者の方々が対象です。

 

 

日本人が持つ「道」を彼は歩いている。

私は自分の太陽を持っているんだ!と何かの会話のときに発言したら、友人に「君は時々詩人みたいな発言をするね!」と言われたことがあります。国外にいると、ある意味真剣に自分が日本人であることを誇りに思う瞬間があるのです。

その時に思うのはお天道さまは見ている。という感覚。自分を照らす太陽は周り回って全てを見ている。良い行いをすればそれが必ず自分に返ってくるという精神性のようなものを感じる時です。でも私は「自分の道を貫き通す力」が存在することを忘却の彼方に忘れていることに気づかされたのでした。

フミさんの強さの根源はその道をまっすぐに歩いていることなのだと。

これは簡単なようで全く簡単なことではありません。私のブレブレでフラフラした足取りでは到底発見できない道をまっすぐに歩いているフミさん、真の日本人魂を持った方です。

今、今日、ここで、お腹を空かせている人々に、ただ単にパンや飲み物を提供したい。それだけのことですよ。とはっきりしっかりと笑顔で言ったフミさん。アンパンマンが自分の頭をちぎって手渡すような、澄んだ心持ちで毎日活動されている姿が目に焼き付いて離れません。

 

こうしてボランティアを行っていることが素晴らしいと言われるけれど、私たちはボランティアではなく、この状況をどうやって自分たちの力だけで改善していくのか、常に考え行動する。それはボランティアという言葉よりもっと適切な言葉があるので、こう言っているんですよ。

”我々は活動家です”

きっぱりと言い放った言葉は、ここで行ってきた活動に対する信念と自信を含んだ決意表明のようで、フミさんの周辺には、キラキラと輝く光の粒が漂っていました。

 

「私たちは普段こんな形でお見送りなんてしないのよ!」と最後はタクシーを呼んだ場所まで、フミさんとナターシャが見送ってくれました。タクシーの運転手は透かさず「あの人知ってるよ。無料カフェを開いている日本人でしょ!とても有名な人だよ」とニコニコしていました。

 

 

短い滞在だったが、ハルキウの今後はどうなるのだろうか。

ハルキウに到着後、電車を降りて私たちが向かった『フミカフェ』は地下鉄駅の近くの場所であり、中央駅からすぐに地下に入ったので空襲を受けた街の様子をリアルに見ることはありませんでした。到着後の市場の近くは所々にミサイル砲撃か爆撃によって焼け落ちている箇所はあったものの、人々は見慣れた様子で通り過ぎていくのでした。

危険地帯にいる感覚を忘れられるだけ。ただ、ラッキーなだけ。

 

この日、この街で爆発音や煙を見ることはありませんでしたが、毎日どこかにミサイルは落ちており、実際に私たちが訪れた日も近くで砲撃があったようで、フミさんにとっても日常茶飯事らしく、煙をみましたねぇ。とおっしゃっていました。スームィの市街地とはやはり違います。

帰りのタクシーからの景色も、古い石造りの大きな建造物が並ぶ街並みが大きく崩れているような部分は見えず、エリアによって被害状況が異なるようです。日曜に訪問した割にはやはり人の往来がまばらで、多くの市民が避難してしまった状況が理解できました。今回のハルキウ訪問は『フミカフェ』メインだったので、中心街の様子は分からずでしたが、立ち寄ったスーパーの品揃えに問題がありそうな雰囲気はなく、足早に行動しているような忙しなさもなかったので、終始リラックス状態だったのは否めません。ただ、スームィのように長閑な田舎町ではないので、スリや置き引きには常に注意を払っていました。

この街の今後はどうなるのか、このある意味静かな状況がどのような形になっていくのか、不安さは拭えません。

スームィに戻って家の近所を歩いていると、ばったりボランティア仲間に会ってハルキウの現状を話したら、結局のところあの街は危険であり、静かに見えてもロシアからの攻撃がどこでいつ発生するか分からない危険と隣り合わせだから、なるべく長時間滞在しないほうがいいよ。とのこと。おそらくそれが現実なのだろうと思います。

 

ここ1ヶ月はあまり進展が見られずに無力感に襲われそうですが、できることから少しでも動いて、私の目から見たウクライナの状況をお伝えしていきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。