ウクライナ・スームィ在住の日本人に何ができるか
- 2023.07.14
- ウクライナ戦争
スームィ市内への攻撃は、私の心を混乱させた
先週の月曜、7月3日にスームィの中心街でロシア本土からと思われるドローン・シャヘドの攻撃がありました。ドローンが着弾したアパートの上階部分は破壊され、負傷者や死亡者が出ています。
私はこの衝撃音を聞いており、呑気にも交差点で大きな衝突事故が起こったのだと思い、バルコニーから覗くと、通りを歩いている人々の大半は誰かに電話しているか写真を撮っているか、または急足で通り過ぎていくのでした。
その後ニュースでことの真相を知った私は、今まで自分は安全な場所から同じ国内で攻撃されている戦地を傍観している側でしかなかった。ということを痛感することになりました。
私はただ、私である。と思っていればいいだけだった
私のTwitterでの発言は、ウクライナ、スームィに在住している私自身が戦争以前と同じスタンスでどのようなものを食べ、過ごしているのかを主に発信してきました。
なぜそのような形を取ったのか。
私には地元の友達がおらず、ウクライナ語も勉強せずに過ごす中で、政治的なことや戦争に関して軽はずみなことは言えないこと。この戦争はとても大きな傷を作ること。世界、特に西側に大きな影響を与えるものだと自身で認識したつもりだったからです。
この500日余りずっと平静を保つことができたのは、持ち前の呑気さと実際の実害が私や家族に及ばなかったから。そして実際の生活の変化を公開することで、少しでもニュースでは伝わらない一般的な日常を、私以外の日本人は誰も住んでいないスームィから届けられればと発信してきました。
戦争開始の時点で、もし今後食料品や医療品、インフラの停止など日常が目まぐるしく変わっていく可能性があるなら、この記録はのちに意義のあるものになるかも知れない。そんな生活をリアルタイムで伝えていく義務があると思ったからでした。
しかしその心配は起こることなく、スームィ州の中で危機的で不安の強かった戦争当初から、大きな問題もなく過ごせたことは、幸運だったのです。
「君はわがままだ」と言われた
私には、私をこの国へ運んだ過去の記憶と運命と、憧れと学びがあります。
でも、今となってはそれらは私の引き出しに閉まっておけば良かっただけなのだとはっきり認識するに至りました。学生時代に学び惹きつけられた、ロシア・アバンギャルドや東ドイツにおけるバウハウスの構成主義。アート、映画、プロレタリアート文学や建築に至るまで、60年代を過ごした教授の影響を受けたこともあり、とても魅力的に映ったことは確かです。
私の学歴は美術短大と建築の専門学校。ソ連に関しての知識はデザインにおける側面のみで、プロパガンダなど共産国が伝える内容に関して深く見知ったわけではなく、ビジュアルから来るインスピレーションに感化されただけなのです。
そんな私の背景を、私は戦争状態に置かれている国の中から何も考えずに自分語りの材料にしたのです。好きだったものを敢えてこの状況下で公言したことで、ウクライナを支援する方々に不快な想いをさせてしまったことを申し訳なく思います。この事態に巻き込んでしまった友達に言われた通り、私はわがままでした。
出会った仲間たち
スームィに住んでからずっと友達のいなかった私は、買い物帰りにふと見上げた青い空、曇り空、夕暮れを見上げながら、これから出会えるはずの友達を想像していました。この空の近い位置にきっといるはずの人たちとの出会いは、スームィと所縁のある日本人によってもたらされました。
彼はこの戦火の中、ウクライナ支援のためにできる限りの物資を持ってウクライナへ入国し、各都市を廻りスームィにやってきたのでした。
彼の知人友人を紹介してもらう中でアンナと、道でたまたま話しかけられたジェーニャと出会ったきっかけは彼がもたらしてくれたものです。NPOを開いたばかりのジェーニャとスーパーボランティアのアンナ。
ウクライナに滞在している以上、何らかの支援をしなければと自作のイラストを販売しておりましたが、悲惨な状況を耳にすることが耐え難い中で、どうしても心と気持ちがついて行かない日々のなかで、手を引っ張ってくれたのは彼らでした。引きこもっていては見えない世界が開いたのです。
そして、村に住む経済的にも困難な状況にある子供がいる世帯へ、お絵描きセットや知育玩具を届けられたこと、孤児院からの要請でマルチクッカーと電気ポットをお届けできたのはNPO法人KRAIANYと日本の支援者の方々のおかげです。関係者一同心より感謝しています。
上記のような要請はウクライナ国内の各NPOに政府から通達があるようで、私たちもその支援の協力体制と共に、独自の支援策を模索している日々です。
ウクライナの戦闘地域は無論、非戦闘地域でも不安は継続
ウクライナ戦争開戦当初は、ニュースでも頻繁に大きくウクライナの状況が伝えられ、ウクライナの一般市民の避難状況や困窮する様子に心を痛めた方々も多いことでしょう。
しかし、今現在も、開戦当時と同じような残虐的で非人道的な行いが戦闘地域を中心に継続しています。
ウクライナ国内でもSNS上では見聞きするのは耐え難い、おぞましい行為が日々常に、絶え間なく続いている様子が投稿され、憎悪の念のスパイラルは深くなる一方です。
私の考える支援の想いと一致する
私は日本人です。戦闘行為を行う軍隊へ武器に関連する物資を送ることはできません。
また、戦闘エリアの困窮者を助けるには大きな組織力や支援の規模も大きなものになります。
自分の住むスームィ州内で可視化されクリーンな支援を行うアートセラピーは、とても有意義なプロジェクトです。このプロジェクトを実行したのはNPO法人Pease! do it!代表のジェーニャ。
戦争によって不安定になった子供たちの心のケアの一助になればと、以前よりアニメトリアというクレイやコマ撮りアニメの教室を開いていたアンドレイと共に、ジェーニャが進めていたプロジェクトに賛同支援の手伝いをすることになりました。
このプロジェクトの最終目的は、現在も絶え間なく続くミサイルによる攻撃に怯える人々が住むスームィ州内のエリアへ、折り畳み可能なアニメーションフレームを持参し、現地の子供たちに創造する楽しさを体験できるワークショップを開催すること。
こちらの詳細については今後、またブログでご紹介しようと思います。
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SACHIALEdesignという名前に関してですが、もうずっと以前にネット上で開いたEtsyという販売サイトのショップ名を取ったものです。ウクライナのことを呟こうと始めたTwitterとも連動しています。小さくても、どんなに辛いことがあっても、人間には幸あれ!と声がけすることで生まれる元気があると信じています。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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