ウクライナ生活、再び。

ウクライナ生活、再び。

昨年2019年11月に、4年半ぶりにウクライナへと舞い戻ってきました。しかもキエフではない、片田舎の小さな町へ。

2011年にウクライナ人である夫とキエフでの生活をスタートしたのは、もうかれこれ9年前。時間の長さが年齢と共にどんどん短く感じることを実感しつつ、改めてこの国での日常を数少ない日本人の目線で考察していきたいと思い、ブログを開設しました!

ソ連からロシア・そしてウクライナ

70年代に父が旧ソ連を訪れた際、お土産として購入したマトリョーシュカや毛皮帽などが自宅にあり、昔からなんとなく気になる国でしたが、学生時代にソ連アニメやロシアアヴァンギャルドとされるアートや建築の数々に魅了されていき、その後結婚することになった夫の母国である旧ソ連ウクライナへ移住することにした自分は、ある意味チャレンジャーだったと思います。

そもそもロシア人と出会うためにロシア語を趣味で始めようと思ったきっかけが、この映画との出会いでした。当時渋谷のユーロスペースで公開されていた、ソ連崩壊の少し前1989年製作の「動くな、死ね、甦れ!」を観てしまったことです。ワレルカに出会って何かが変わった人、他にもいるのではないか。。

頭をガツンと殴られた気分で、レイトショーを見終わった後まっすぐ家に帰れずに終電まで街を彷徨う羽目になったことを思い出します。

あの感覚が忘れられず、ロシアがどんな国なのか、ロシア人はどんな生活をしているのか、キリがないくらいに頭がグルグルして、ドキドキして、世界で最初に宇宙に飛び出したガガーリンのごとく、私のソ連への興味がババーンと大きくなったのでした。

そんなこんなで、ほぼ好奇心だけで東京からロシアの隣国ウクライナへ移住した訳ですが、妊娠・出産をこの地で経験し、あれよあれよという間に国が混乱し、クリミア半島まで奪われた2014年から15年にかけてのロシアとの動乱を身近で体感することになります。子供が生まれたばかりだったタイミングもあり、一旦日本へ帰国したのちに、こうしてまたウクライナに戻ってきたことは、何かこの国との縁を感じています。

ウクライナの地方都市・スーミへの移住

動乱以降ロシアとの間に大きなヒビができてしまい寂しい限りですが、最近ではウクライナ語だけを話す人も増えている中、日常会話はほぼロシア語が主流の、ロシア国境沿いのウクライナ東北部に位置する小さな町スーミに関してもお伝えしていこうと思います。

11月の本格的な冬が始まる頃にこちらに移住しましたが、今年の冬は北国としては異常に暖かく、一番寒い時期の2月は平年なら日中でも-10℃くらいの気温のはずが、今年は0~-2℃くらいの日々が続き、窓に貼り付けた温度計が安物だから壊れているんじゃないかと毎朝言う始末。(※実際にはほぼ合ってる)夫もこんな暖かい冬は知らない!っとびっくりしている様子でした。

※この「ほぼ合ってる」という感覚はこちらに来てから身についたもの。温度の話に限ったことではなく、どの場合でも少しだけズレていることに対して気にもしない国民性が威力を発揮する瞬間に遭遇することがある。今後この事を示す事案をお伝え出来ればいいと思います。やっぱり私は日本人。たまにイライラが爆発します。。

ウクライナでの新型ウィルスで思うこと

更に今回の新型ウィルスの流行によって、世界中でロックダウンや緊急事態宣言の発動など、にわかには信じられないようなことが起こっていることは、この国でも例外ではありません。当初懸念していた買占めや不安によるデモ・暴動といった荒れた様子は一切なく、とりあえず今の時点では一安心なところです。

私自身の話もこれから色々していくことになるとは思いますが、元来夫と引きこもり気味の生活スタイルなので、子供の幼稚園が閉鎖されていて、外出時にマスク着用をするくらいの感じで、近所の景色に悲壮感は感じられません。ただ、日本と決定的に違うところが自動ドアの有無です。

日本にいた頃は当たり前のように自動ドアのある生活を送っていたので意識していませんでしたが、日本では自宅のドアを閉めてから駅へ向かい、そっとSuicaでタッチして電車に乗って都心まで出ることが可能なように、日本では公共物に触れる機会が圧倒的に少ない気がします。

□旧ソ連時代から続くスタンダードな集合住宅「クバルチーラ」

ここでは2F自宅の扉を出た後の共有の扉が1枚、2枚、階段手前で3枚、階段下の最後のドアの前でボタンを押して、4枚目の重い扉を開けなければならず、計5枚のドアを経てやっと外に出られる状況です。また、近所のスーパーは入る時に引きの大きなドアを2枚開けなければならないので、ちょっとした買い物でも感染の可能性が高い公共の物に触れる機会が、日本に比べても俄然多くなるのが怖いところではあります。

外に出るまでに通過するドアの数々

ウクライナ・スーミについて少し。

元々国の経済レベルも低く、ロシアとの関係悪化によるUAH(グリブナ=ウクライナの自国通貨)の下落もあり、ロックダウンによって色々な制限があるので、今後の国の動向には注意が必要です。

スーミにはいくつかの医療関連や専門の大学があり、生活費や学費の安さからアフリカ系の国々からの留学生を目にする機会が多いです。白人系の人は区別できないですが、アジア人らしき人を観たことはありません。私は大抵中国人だと勘違いされるので、言われた時は「Я Японка!=私は日本人!」と言っていますが、それほど興味はないらしくスルーされる場合がほとんどです。。

ブログに関して

このブログでは、独特なソ連カルチャー好きだった私自身が、この国で感じたギャップ、日本人との感覚の違いやウクライナの片田舎の状況、食文化をお伝えできればいいなあと思っています。

(因みに私は共産主義的な思想を持ち合わせてはいません。)

皆さんに遠い異国の地からSACHIALE  Lifeをお届けしていきますので、当ブログに来ていただければ幸いです。