心に刻まれる記憶。ウクライナの田舎の村を訪ねて

心に刻まれる記憶。ウクライナの田舎の村を訪ねて

結婚した当時の2011年夏。東京からやってきた私は、夫の故郷である片田舎のスームィという町で最初の数ヶ月を過ごすことになりました。今、自分がその後の落ち着かない数年を過ごして、昨年再びこの町に長く住むことになろうとは、その当時全く想定していませんでした。

結婚に当たって、セレモニー的なことは小っ恥ずかしくて日本の家族とお食事会だけを簡単に済ましてウクライナへ渡ってきましたが、親戚が住んでいるスームィ中心街から30km程北へ進んだ、ロシアとの国境すれすれの村へと遊びに行くことになり、夫の祖父母が住んでいた広い農場付きの家で親戚一同と初顔合わせとなったのでした。

叔父さんが運転するЛАДА(ラーダ)のセダンに乗り合って、ギアチェンジの度にゴギゴギ・ユサユサと揺れる道中、事故で死んだら土葬は嫌だなあ。なんて、車で移動しただけでは考えたこともない発想が頭をよぎったりしながら(笑&汗)、田舎の町並みを越えてポツポツと続く煉瓦造りの簡素な家が並ぶエリアも越え、広大な黒土地帯の舗装されていない横道を通って村に到着するまでの間、ウクライナの田舎生活が垣間見える体験ができることにワクワクしていました。

 

              村の景色。ガチョウが声を上げながら自由に行き交う。

 

その年の夏の終わりにはキエフに住むことを決めていたけれど、過ぎ行く風景をガタゴト移動していくうちに、昔見た旧ソ連を題材にした映画のシーンが蘇ってきて、その当時思いを馳せた画面上の映像と同じようなリアルな景色が目の前にある事実に「来てやったぜ!」的な達成感と、これから起こるウクライナでのリアルな生活がスタートしたんだと実感したひとときでもありました。

               屋外での昼食会の準備。祖父母が暮らしていた家と中庭。

 

ジョナス・メカスの「リトアニアへの旅の追憶」。スクリーンから現実の世界に現る!

人が人生のある時期に深く感動したり感化されたりした記憶は、頭か体のどこかに留まっていて、その波長が磁石のように引き寄せられる瞬間があるのだと思います。それは地元の景色や大好きだった食べ物の味や、心地よく感じる気温や湿度、好きな映画のシーンや音楽など様々な形で残っているのではないかと。

村で私が思い出した映画は、ジョナス・メカスの「リトアニアへの旅の追憶(1974年)」。この映画はアメリカへ渡ったメカス本人が手持ちのカメラで撮影したドキュメンタリー映画。彼が故郷で撮影した約半世紀前の村の風景が、国は違えど旧ソ連圏であるウクライナのリアルな景色の中に溶け出してシンクロした時に、心にスーッと入り込む心地良さと、感傷的になりそうな憧れを抱いた映画のシーンが一体となって、この地に愛着を持つことができた体験の始まりでした。

artoday – chiaki Noteでジョナス・メカス に関しての記事。ご興味ある方は是非!

 

結局その後、1泊2日の体験だけで今年になるまで訪問する機会がないままだったのですが、深い部分で感じたことは時間を飛び越えて追憶することができます。

 

ロシア国境に近い村へ、再び。

ロシアとの国境まで5キロ程の所に位置する村。今年の夏、車を購入したことで村に行きやすくなったこともあり、前回は夫の祖父母が住んでいた広い農場付きの家に行ったのですが、料理の準備やら顔合わせなどバタバタと時間が過ぎてしまい、お邪魔した叔母さん宅は今回が初めての訪問。5年ほど前に日本に帰国した際に不要になってしまった家具が叔母宅に一部引き取られ、それらと再会することもできました。

 

村の家々は大抵エントランス部分が高い塀で閉じられている。

叔母さんの家は村はずれの一番手前に位置する場所にあり、広大な農地と隣接した深い池の間にありました。もちろん舗装などされていないポコポコした細い道。大型の車で運転を間違えれば池へ真っ逆さまな雰囲気です。。ウクライナの田舎は大抵木製の塀が立っているので、外の道から中の様子が分からないのですが、扉を開けると中庭が出現します。その先に母屋と、サライと呼ばれる道具を置いたり家畜を飼育する小屋があります。鶏やその他の家畜が逃げないように囲いを作っていると思われます。塀のおかげで閉鎖的な印象を持ってしまうかも知れませんが、車の音や人の声がするとどこかから村びと登場!というスタイルになっています。きっと家の中から誰かが来たことを確認して出てくるのでしょう。

 

卵を生むための鶏と、肉になる鶏。

おばさんの家の自家製卵は、鶏の個体差があるのかサイズがバラバラで既製品のように均一なものではないですが、とにかく味が濃ーいのです。卵用鶏は茶色っぽい羽で体が小さめ。中庭のさらに奥の囲いの中でものすごいスピードであっちこっち走り回っています。小さめだけど玉のような濃い色のキミとドロッとした白身。あんなに自由に走り回っていたら、ブロイラーの卵と素材自体の質が違って当然ですよね。

         卵用の鶏。ハイスピードで走り回って砂埃が舞っている。ものすごく騒がしい!

 

食用の鶏は白い羽で体が大きく脚もしっかりしていて眼光が鋭いので、色々考えてしまう前に小屋から退散しました。。鶏を肉にする方法は怖くて聞いていませんが、もも肉は口に入れると弾力で跳ね返ってくる筋肉質なテクスチャーで、スーパーの鶏肉とは違うワイルドな味わいがあり、肉が好きな人には食べ応え十分な食材です。この感じ、田舎の自家製でしか味わえないものだと思います。(自慢)

  自家製鶏のロースト。ゆっくりオーブンで加熱され、ほろほろなのに弾力があって味付けも完璧!ウマウマ!!

 

そして食肉用ウサギ。

ウサギは我々日本人にとっては可愛いペットなので、正直檻に入っているウサギさんたちが気の毒で観察するが辛くなってきて写真は撮っていません。。とにかく大型でうさぎとは思えない程苛立った鋭い視線を放っていて、モフモフの可愛い要素は感じられませんでした。己の運命を知っているのだろうか。。

注意! ウサギ好きな人は、以下飛ばしてお読み下さい!

市場などでウサギ肉を売っている所を見るとギョッとしてしまうかも知れません。猫の肉ではない証拠のため(サイズが猫に似ており、手足の形が違う)毛皮のついた手足がカットされずに売られています。ウサギの肉は今まで触れたことがない感じがします。見た目は鶏肉なのですが、油が非常に少なく触った手がベタつくことがありません。あばら部分は骨の形がアーチ状になっていて非常にリアルで、ウォッとなってしまうので私が調理できるのはモモ肉だけ。

ウクライナでは病気の人や胃腸が弱った時にスープにして食すことが多いよう。ゆっくり蒸し焼き状態で調理すると、ふわっとしたササミを筋肉質にしたようなテクスチャーで、鶏とは違う甘い癖のない独特な風味があります。

栄養も豊富らしく、ダイエットに最適な気がします。

 

外でのランチ

季節的にまだ屋外で食事を取ることができたので、庭に置かれているテーブルでランチをいただくことに。しっかり旨味が詰まったボルシチと、黄色味がかった濃い色のジャガイモ。自然の恵みを肌と舌で感じることができるリラックスしたひととき。どれもナチュラルなテイストで本当に美味しかったです。

     程よい塩味と自家製の野菜と肉を使った、田舎ならではのテイスト。ソ連時代の食器も可愛い。

 

ほぼ収穫が終わった広い畑。

        夏から続く収穫が終わり、無造作に置かれたカボチャが横たわるゆったりとした畑。

 

5000平米ある畑を一人暮らしの叔母さんが自ら管理をしている様子は、牧歌的でありながらも過酷さを携えた大地に根を下ろすリアルな生活であり、季節ごとに変わる気温や空気の変化、植物の成長と収穫時期のサイクルの中で長い時間変わらずにあるスタイルなのでしょう。畑が広がる広大な景色を埋める土が黒っぽくズシリと重く広がっているのを目にすると、ここが世界有数の黒土地帯の肥沃な大地であることを実感することができます。

この土地を一人で管理している叔母さんは物静かで常に立ち回っていて、ウクライナの村人そのものです。

                枯れたとうもろこしの先の林まで続く農地。

村での生活。ただ、淡々と季節が過ぎゆく。

                   冬に蓄えて乾燥させておく。

北海道育ちでいくら景色が似ていると言っても、区画管理された住宅街に住んでおり、広大な景色を見るのはドライブで郊外へ出向いた時や電車の中から景色を眺めるだけ。畑や家畜がいる生活とは程遠いものでした。日本で生活している時はライフラインが完備されていない生活を想像したことすらありませんでした。

叔母さんの家のトイレは下水道のない木造の小さな建物で、母屋と数メートル離れた先に位置しています。母屋には水道と電気で水を温めるタンクが付いていますが、水道がなく井戸からくみ上げて使用している村人もたくさんいます。

鶏やガチョウの忙しない声や鳥のさえずり、土や草のむせた匂い。大きく息を吸い込んだ時、スッキリする自然の匂いがはっきりと感じられる。都会生活では実感できない自然との共生が成立している心地良さがあります。

 

村住まいから「スマホ」を使いこなしてSNSで発信する叔母さん、イカしてます!

私のFacebookアカウントに、おばさんから友達申請が届いたのは今年の夏。

私の夫に関連する人物特定で名前を発見したのでしょう。更新の回数は少ないものの、誰かの料理レシピをシェアしたり、自分で作った料理を紹介したりしています。私の夫の従兄弟に当たる息子たちや甥っ子姪っ子の、SNSでシェアされた写真たちを慣れた手つきでタップしていく様子はさすが!

村から家に帰ってFBに写真をアップしたら、叔母さんから速攻で投稿をシェアされました。笑)

 

ウクライナでは世代間ギャップがさほどなく、スマホの普及率が総じて高い。

まずそこには日本人との性格の違いもあります。美女大国であるウクライナでは、女性は幾つになっても立場が違っても「女性」。「カワイイ」は子供に向けられる言葉で、写真のポージングなんかを見る限り、日本人とは違った決めポーズで自分の美しさを見せるのは当たり前。

自分を美しく見せて写真を共有できるSNSはぴったりハマっているように思います。

男性諸君も情報をシェアするのが好きそうです。(嫁自慢あり←モデルのように綺麗な場合が多いから自慢したくなるのは大いに納得!)

そういった国民性と家族間の強い連帯が重なり、家族写真や情報共有することへの敷居が低くなっているのかも知れません。日本のように色々な技術がちょっとずつ進化してきたのとは違い、新しく整備されたデバイスの訴求は強力で、誰でも手に入る状況になった途端に市場へスピーディーに作用するようです。

一歩外に出るとすぐにFree Wi-fiに繋がり、格安SIMカードによって月々の負担が少ないのも◎。

スマホ本体は海外から安く購入したり中古を使用したりしているようです。iPhoneは高額なのでAndoroidが主流です。

 

日本とは色々と環境が違う国、ウクライナ。

この国の国民性にキーッとなったりイライラしたりすることもありますが、興味深いことは間違いありません。

村のゆったりしたシンプルライフ。黒い大地の上で淡々と生きること。

世界的な新型ウィルスの蔓延によって、『都会に出て人生大成功!』という一つの時代が終焉を迎えつつある中で、そういった画一的な人生観とは違う何かを発見したいと思う今日この頃。外国人としてウクライナで生活していく上で、日々の思いや気づきを大切にしていきたいです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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